北京編 Part3 ライター千遥
7月6日(金)成田空港発、18時25分のノースウエスト機に搭乗した。北京空港には、現地時間21時20分に到着予定である。時差は1時間であるから約4時間かかることになる。離陸後しばらく経つと、騒いでいた隣りの若い女性たちも毛布をかぶって眠り込んでしまい、静かになった。子どもたちは?
単純なものである。それで、わたしの気分もいくぶん和らいできた。
前の席の背面すなわち、わがほうの前面にはテレビのモニター画面がある。いろいろなビデオなども見ることが出来る。見渡すと、多くの人が暇つぶしにゲームなどをやっている。こちらも試みてみたが、すぐに飽きてしまい暫し仮眠をとることにした。しかし、搭乗時間からみて機内食が出るはずだから、寝込んでしまうわけにはいかない。呑み助と食いしん坊の習慣は、いくつになっても変わらないものである。それゆえに、あくまでも軽い居眠り程度?である。
そのうちスチュワーデス(客室乗務員)が夕食を配り始めた。楽しみにしていた機内食も、いろいろとバラツキがあるものだ。今回はまるで美味しくない。格安チケットだからか? いや、そんな筈はない。たまたま運が悪かったか。
近づいてくるワゴン車を見ていると、飲み物にはお酒がないようである。コーラやジュースなどの大きなペットボトルが見える。「アルコールはある?」と聞いたら、ビールならあるという。それも缶ビールで一つ500円だった。何もなしでは寂しいから、一つだけ注文した。「以前の上海行きでは、飲み放題だったなぁ」などと考えていた。だが、それは錯覚だったことを思い知る。
そのときは、たまたまエコノミークラスが最初に満員になってしまい、空席はビジネスクラスしか無かった。いわば頼まれて、ビジネスクラスに乗せてもらったわけである。それで酒類は、何を、どれほど飲んでも、無料だったというわけだ。呑み助は、余計なことを想い出すものである。
出国カード いずれも拡大表示します 京都苑賓館の名刺
北京空港への着陸が近くなると、乗務員が中国への入国カードと検疫カードを配布する。中国人以外は英文のカードに記入しなければならない。多少なりとも中国語を学習した者は、漢字で書きそうになるから注意が必要だ。なやましいのは、中国での宿泊先である。(真実の)友人の住所などを書いて、あとで迷惑がかかっては困る。ということで、Beijing
fandian (北京飯店)などと著名なホテル名を書いて入国審査をすり抜けることにした。これが最も無難な方法だと乗務員から聞いた。
(*上記画像は手元に入国カードがないため、出国カードで代替)
数年前までは、入国審査で係官が厳しい目つきで我々を観察したものだが、最近は顔つきも柔らかくなった。民主化も進み、かつ日中間の信頼関係も遥かに良化した証を如実に示すものだろう。
荷物を受け取り出口に向うと、たくさんの人々が出迎えている。それぞれが手に手に、「○○先生」とか「△△先生」などと書いた大きな紙片やポスターをかざしている。別に先生がたくさんいるわけではない。中国語では「福田さん」は、「福田先生」だから、どうしてもそう書いてしまうのだろう。
我的好朋友(わたしの親友)であるMさんは、わたしがバッグを持って出た直ぐ前におられて、「□□さ~ん」と呼んでくれたので、直ぐに分かった。これで第一の関門はクリアしたわけである。何と言っても北京初日の宿泊先が確保された、ということ。これは大きな安心感に繋がる。
夜の空港タクシー乗り場は猛烈なラッシュであった。先ほど降りた大勢の乗客が長蛇の列をなしている。いつになったら乗れるか分からない。なかには雲助タクシーもいる。それを見越したMさんは乗ってきたタクシーを待たせてあり、その車で一直線にMさんの家へと向った。30分ほどでMさんの家に着いた。居室は全体で120㎡ほどあり、通常は一人で住んでいる。寝室は二つほどあり、それぞれ10畳位はありそうだ。わたしの居室はベッドとテレビ以外には余計な家具はない。収納家具は造りつけだから、部屋の中もすっきりとしている。
床は日本と変わらないフローリングである。ベッドは、年寄りが寝るには恥ずかしいような華やかなピンク色である。日頃の清掃が行き届いているのか、ゴミ一つない。豪快なMさんに几帳面な一面を見せ付けられた感じである。全面フローリングだから掃除機での清掃は割合楽ではあろうが、翌朝目覚めて、また新たな発見をした。
M邸での わたしの居室 左右の画像は拡大します M邸の目印 62
北京の夏も暑い。外に出れば全身が汗でびっしょりとなる。そんなことで、Mさんは朝起きると既に洗濯機を回している。そして、その洗濯したものを伸ばした上で、ハンガーにかけている。うまいことに来客にも見えない物陰に巧みに干している。在宅中は冷房をかけているから、1日ですべての洗濯は完了してしまう。わたしも上半身の衣類を同じように洗濯してもらうことになった。しかし流石にわたしも、下のものは出すわけにはいかなかった。
朝食は、Mさんが毎日作ってくれる。米ご飯と納豆と卵焼きがメインだが、老人には余計なものはいらない。これで充分である。昼も夜も外食だから、栄養は充分すぎるというものであろう。
到着の翌朝は日曜日である。当初の予定では、まさに日中戦争勃発の7月7日に盧溝橋記念館を訪ねるつもりだったが、さすがにMさんも予定を変更した。まず、わたしが北京を離れて張家口から帰ったその日の宿泊先となる京都苑賓館を確認することとし、地下鉄で北京駅へと向かった。そこからホテルの位置を確認した。泊まるべき京都苑賓館は、北京駅から歩いて20分ほどだ。遠くはないが、中途半端な距離である。長い時間、駅前で客待ちしていたタクシーの運転手は乗車拒否もするらしい。
この日は荷物はゼロだから、二人で歩いてホテルに向った。道路に凹凸があるし歩道橋を上ったり、下がったりするのは、重いバッグ持参では骨が折れそうだ。ホテルは、別に日本の京都とは関係なさそうだ。北京の京をとった名称であることも分かった。日本語を話す従業員は一人もいなかったことからも、充分に予測される。ここで予約状況を確認し、置いてあったパンフレットや名刺をいただいてきた。その名刺には、ホテルの位置もきちんと書かれている。しかし、これだけで完全ではないことも、後日確認することとなった。
北京最終日の夜、わたしをホテルに送り届けてくれた、中国人ホステスが的確に指示してくれたにも拘わらず、タクシーは迷って、かなり遠回りしていた。
運転手は、わざと知らぬ振りをしていたのか。そうとしか考えられない。今でも疑問に思う一件である。
植樹された団地 北京駅 中央二つは拡大します イトーヨーカドー 付近のスーパー
ホテルは北京駅に隣接した好立地にあったが、400元(朝食付き6000円程度)と割安であった。後日は、自分ひとりが頼りの宿泊先を確認したあとは、タクシーで北京№1といわれる繁華街、王府井(ワンフーチン)へと向う。ここで、いつも見慣れたイトーヨーカドーの店舗マークに接する。まずは食品売り場に行く。毎朝の食事につきものの納豆と卵をMさんが買った。中国人の大半は、慣わしとしてまず納豆は食べない。納豆は中国在住の日本人向けと思うが、結構日本の食材が並んで売られている。
日曜日の王府井は完璧な歩行者天国である。怖い車を気にしないで、広々とした道路を歩けるのは愉快このうえもない。夏本番だから、女性も軽装で美しいスタイルは目にも保養になる。もはや色気もなくなったわたしに、活気を与えてくれるというものか。王府井で一番の高層と言われる巨大なビルに入る。何という快適な涼しさだ。このビルをズーッと奥のほうへ進むと、日本式ラーメンで北京を制圧した「味千拉麺(あじせんらーめん)」の店に辿りつく。
経営者は勿論日本人であり、店の名前も日本語でしっかりと書いてある。ラーメンは中国が発祥地と考える人が多いが、これは大間違いだ。その味わいといい、麺の形といい、日本と中国ではまるで違う。中国式拉麺よりは遥かにお値段は高いが、中国人のお客が殆どである。こんなものでも、中国社会の所得格差が表面化する。貧困層の人たちは、そばにも寄らない。何しろ、普通の麺の10倍は間違いなく支払わねばならないのだから。しかしながら、北京訪問の日本人にはお奨めしたい一品である。
僅かな中国滞在中に、北京で2店、チンタオでも1店見かけたから、全国展開しているに違いない。だだしこの店は、食事中に小姐(おねえさん)が料金の精算にくるから、驚かないでほしい。
聞いたことはないが、お客の出入りが激しいために、どさくさまぎれで食い逃げする輩が多いのかも知れない。
北京の夏は暑い。日本と同様の気温である。しかし木陰や建物の陰に入るとグーンと涼しくなる。湿度が低く、空気が乾燥しているせいだろう。これが大陸と島国の違いでもある。僅かばかりの王府井の散策を終えて、Mさんの家に戻る。シャワーで汗を流し、一眠りしたあと快気を取り戻し、元気いっぱい夜の北京に繰り出すことになる。 (C・W)
夏の王府井景観 「下段左から二つ目は九谷焼展示会」 すべて拡大します
あじせんラーメンは美味しいですよ! 中国人でいっぱい。お奨め料理です!
右端画像は、拡大鑑賞できます 3割引きですよ
|